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この度、私は政治活動四十周年を迎える事が出来ました。
また、昨年五月には国会議員在職二十五年表彰を受けることができました。
これも地元青森県の皆様を始め、特に全国のスポーツ関係者の皆様の長年にわたる御理解と御支援のご賜物と、ここに改めて心から感謝を申し上げます。
私は、昭和九年十二月七日に生まれました。
幼少のころからスポーツが大変好きでありまして、高校時代には、夏はバスケットボールの選手として、冬はアイスホッケーの選手として数々の大会に出場させて頂きました。
大学時代、初めてアイスホッケーのナショナルチームのメンバーに選ばれてモスコーの世界選手権に出場したのが最初であります。 その後、岩倉組に就職をいたしまして、岩倉でアイスホッケーをやり、日本一のチームを作り上げ、その間、オリンピックに三回、世界選手権大会五回、選手・監督として出場いたしました。
昭和四十二年、青森県議会議員に二期当選させていただきまして、この間も西武鉄道のアイスホッケーの監督を頼まれて、東京ー青森、通いながら指導したわけであります。
おかげで三年連続優勝をすることができて、引退いたしましたが、アイスホッケー連盟から札幌でオリンピックがあるから日本の監督を要請されまして、札幌オリンピックの日本の監督をさせていただきました。
昭和五十四年十月の衆議院選挙に初当選。その後、第一次宮澤内閣、第二次宮澤内閣の農林水産大臣に就任しました。
衆議院と参議院でアメリカから米一粒たりとも輸入しないと決議されましたが、最後はまとめなければという思いで、政治生命を懸けて辞任覚悟で、四十八%の関税を掛ける代わりに、一部輸入を認めるという交渉をまとめました。
私の政治の中で最も思い出に残る問題でした。また、農家に負担を求めない努力をしなきゃいかぬ、農協と漁協の合併しろということで、これが進んだこともまた大変な思い出でありました。
最後に、私がスポーツで学んだ事を申し上げます。スポーツチームは千差万別の選手の寄り集まりであります。
どんなチームも強い選手と弱い選手、上手いプレイヤーと下手なプレイヤーで組み立てられ、その連係でチームのパワーを引き出していくのです。
もちろん強い選手が弱い選手をかばい、常にフォローすることが前提ですが。
このかばいあう気持ち、思いやりの精神が大事であります。社会も国も、強者と弱者の連係、思いやりの気持ちで成り立つべきと私は思います。
私は日本の、そして青森県の将来を憂い、子供から高齢者の皆さんまでが夢と希望の持てる社会を目指し、お互いが支え合うことが、真の意味で豊かな国になることへと繋がっていく筈と信じています。
まだまだやらなきゃならぬことはたくさんあります。国民の負担を求めない努力を今後とも続けていきたい。その為に私は、以前にも増して、とことん信念を貫き通し、築かれた信頼を背に、捨て身の気持ちでこれからもとことんやりぬくつもりですので、
何卒今後ともご指導、ご鞭撻賜りたく切にお願い申し上げます。
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